「線路は巡る」

 

モン=サン=ミッシェルとパリ。

この二つの地名を聞けば順当な海外旅行、という印象を受ける。 満ち潮で閉ざされる街と花の都。

しかし1泊2日でパリ、と言えば商用ですか?と訪ねられるだろう。 確かに観光には短過ぎる。

「いいえ、私はパリへ地下鉄に乗りに行きました。」

 

その頃、在籍していた美術大学では卒業制作が進行中で、私 が選んだテーマは地下鉄の駅のデザインだった。 ロンドンと並んで地下交通の発達した都市・パリはリサーチのためにも是非見に行きたい場所だった。 当時、ロンドンのウォータールー駅を出発してパリ・北駅までユーロスターなら2時間ちょっと。決して日帰り 出来ない距離ではない。荷物は小さなバックパックに1泊分の着替えとカメラにフィルムがたくさん、パスポート、 ノートにお金。地上で観光はせずひたすら地下に潜って電車に乗る。 そんな少し奇妙な1泊2日の旅を敢行したのだ。

 

パリに着いてからは回数券を買いできる限り地下鉄に乗っていた。

特に印象深かった「Art-et-metier」駅は構内 の壁が銅張りで、その壁面には部分的に船の窓のような ギャラリースペースが所何処設けてあった。天井には大きな歯車が埋込まれ、ジャン・ジュネとマルク・キャロの 名作映画「delicatessen」を思い出させるような現実味のない、不思議なインテリアだった。この駅の近くには 工芸・技術博物館があるために潜水艦の中のような一風変わった装飾をされたようだ。

Concord駅のプラットフォームはアルファベットが焼 き付けてある正方形のタイルで覆われていた。 フランス語を理解しないので、並べられたアルファベットが単語として成立しているのかそうでないのかまでは 分からなかったが、白地にフレンチブルーの組み合わせは正にフランスの香り。前出のArt-et-metier駅に比べれば シンプルながら、パリらしさを感じる内装だった。またある駅の内部はグラフィティ・アートのようなポップな 絵で飾られていたり、路線によって統一するのではなくそれぞれの駅が異なったデザインを施されていることが とても面白かった。

 

パリの地下鉄は古い駅でも新しくても、ロマンチックという か少し現実離れしたおとぎ話のような甘さと暗さを 感じたが、ロンドンではもっと地に足の着いた、ちょっと斜に構えた格好良さ、可笑しさを感じた。特にその頃 開通したJubilee Extensionの駅(Canary Warf駅やwaterloo駅など)はパキパキした最先端デザイン、クールで 無機質で硬質なイメージが強い。パリにも新しい路線no.14が開通して間もない頃だったが、確かにデザイン性が 高く整然とした現代的な駅なのだが、淡いペールトーンであったり、部分的に木のテクスチャーが入っていたり、 どこかふわりとした上品さのようなものが漂っているような気がした。全体的としては柔らかくて叙情的な印象がある。

パトリス・ルコントの映画「リディキュール」ではないが、イギリスがhumorの国なら、フランスはespritの国 なのだろうか。何にせよ、長い地下鉄の歴史の上に立ったそれぞれの個性、国柄、そして魅力をぼんやりながらも 感じられる旅だった。

 

日々東京の地下鉄を利用していて思うのは、正確さ、清潔 さ、範囲の広さや利便性、そして安さを考えれば、 やはり東京が一番かもしれない、ということだ。何度か大学の課題を無理矢理こじつけたほどの地下好きとしては 先頭・最後尾の車両からの景色は大好きだし、プラットフォームで電車が入ってくるのを見るのも楽しい。 しかし、思い返せばパリやロンドンの時ほどワクワクしていない。一時的に身を置く海外の土地ならば物珍しさに 目を見張るのは当然だし、日々の通勤で乗る度にワクワクしているのもどうかと思うが、何が違うのだろう。 冷暖房は言うまでもなく、掃除も行き届き、エスカレーターもエレベーターも大概の駅には完備されている。 キオスクやエキチカも充実し、何の不満もないどころかこれ以上望むものもないほど整っている。

その「整っている」ことが問題なのだろうか。地下というの は地上と違って一種奇妙な場所のはずである。 それならばもっと突飛な空間でもいいはずなのだが、地上の便利さをコンパクトにして埋め込んだだけ、という気が しなくもない。現代美術を持ち込んでみたり色々な試みはあるものの、観光として成立するくらいの面白さが 果たしてあるだろうか。

パリやロンドンのようなドラマチックな地下鉄の駅が東京にも出来てくれたら。

と思いながらも、 今日も地下鉄に乗るのだ。

 

2009.6.26

BOOK246 column vol.195